真宗大谷派 教忍寺
Acerca de
教忍寺の沿革
教忍寺の歴史は江戸時代にさかのぼります。
それ以前の記録はございません。
過去に火災にあっておりますので、わずかながらの記録が残っております。
先人のご苦労の歴史をここにご紹介いたします。
字本にありて真宗大谷派に属す、
はじめ堂ケ口という所にありて、真言宗なりしが、
元和元年(1615年)本願寺宜如により、教忍寺の号を受け、
天明7年(1787年)4月3日火災に罹り寺記を失えり。
花法山光楽寺地中
開基 了正
能登国珠洲郡本村堂ケ口氏
創立 元和元年乙卯月日不詳
「珠洲郡誌」より記載
以前は真言宗の寺院だったそうですが
それらしい痕跡や記録はございません
以後の記録で残っている最も古い住職さんは、
江戸安政2年に御還浄された 「法海」(ほうかい)氏
今でも教忍寺のお墓にそのお名前の記録が残っております。
5代前の住職「貫儀」(かんぎ)氏が諸事情から家族と共に北海道移住されました。
そのいきさつ等については不明です。
一念発起して新しい土地での布教活動に生涯を捧げようとされたのでしょう。
今では当時を知りうる親族が御存命でないので
手がかりがございません。
北の過酷な地での開教は並々ならぬ御苦労があった事だと想像されます。
稚内に「北教寺」というお寺を一寺建立されました。
何年か前に御親族の方が訪ねて来られた事がございました。
貫儀氏が北海道に開教に赴かれてから
明治維新前後に住職不在の期間があり
堂ヶ口幸松さん(屋号はどうざか)という住職の叔父が
幼い住職の代わりに代務されておられたという記録が残っております。
平成17年に珠洲市三崎町本区にあった庫裏から光楽寺地中からの独立。
平成18年に同町小泊地区に移築、
翌年19年3月25日に落慶法要を厳修。
深く大切な事は、お念仏のおしえが現在の私達に相続されて伝えられたてこられたということにつきます。
御門徒さまをはじめ地域の方たちに支えられ、現在に仏縁が継続されております。
元和元年(1615)
真言宗から浄土真宗に改宗
元和?年
開基者 能登国珠洲郡字本
堂ケ口氏
天明7年(1787)4月3日
光楽寺と共に火災に遇い寺記を焼失
住職不詳
天保3年 (1833)
堂ヶ口家の墓地建立される
願主 堂ケ口源七
嘉永5年(1852)11月17日
山形貫儀 生誕
安政?年
釋法海 死去
安政2年(1855)
釋尼妙恩 死去
※現在の本区墓石に安政 釋法海の刻あり
明治25年頃
山形貫儀
北海道礼文島 北教寺に移住
昭和31年
親鸞聖人500回忌法要厳修
2007年(平成19年)3月25日
教忍寺 本区より小泊地区に移築
落慶法要